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金沢の食の歴史

藩政時代から培われた特色ある食文化

加賀藩祖の前田利家は、茶の湯に関心を持ち、金沢に茶の湯文化を根付かせた。三代藩主利常は武力の誇示を控えて幕府の警戒心を和らげながら、一方では雄藩としてのプライドを天下に示すため、文化奨励策をとったとされる。全国より優れた人材を集め、茶の湯由来の懐石料理や優れた器、工芸品が次々と作り出された。
また、五代藩主綱紀の頃になると職人や町人までもがお茶の作法を身につけるほど茶道は幅広い層に広がり、客をもてなす懐石料理とともに優れた器を求める人びとも増え、職人のレベルも一段と高まった。

良質な食材と高い技術が融合した加賀料理

加賀料理

独自に発達した工芸や茶の湯文化、白山山系の伏流水と加賀平野の良質な酒米で作られた清酒、それら全てを芸術の域まで高められて加賀料理が生まれた。
四季折々の旬の食材を活かしきる調理や加工の技術とそれらを供する器や空間。美しい作法やしつらえ。加賀料理を中心とした金沢の食文化は、歴史と伝統が特有の発展を遂げ、現在でもこの街で大切に受け継がれています。

茶文化とともに発展し生活に溶け込んだ伝統菓子

63落雁右

加賀藩では、初代利家・2代利長は千利休の直弟子、5代綱紀のときには千家の千仙叟宗室(せんそうせんのそうしつ)を茶道茶具奉行として招いたように、藩を挙げて積極的に茶の湯を推奨していた。
その流れをくむ金沢のまちは今に至るまで茶の湯が盛んで、茶席で提供される和菓子の文化も自然と発達してきた。
上生がふるまわれる「濃茶」と干菓子が出る「薄茶」という茶席があり、この干菓子の中でも最もポピュラーなのが「落雁」だ。
米の粉を煎って砂糖と混ぜ、型で押し固められたこの菓子は全国でつくられているが、金沢には落雁を看板商品にする店舗があるほど深く生活に溶け込んでいる。
金沢でこれほどまでに発展したのには、茶席の多さに加えて浄土真宗の浸透が貢献している。
仏前の供え物として一般的なことから需要が多く、落雁店を支えていたと考察される。